母との共演

624日に母のリサイタルが終了致しました。

前回のリサイタルが超満員だった事もあってチケットについては心配していなかったのですが、直前になって売れ行きが苦戦していると聞いて慌ててインターネットを中心に宣伝をさせて頂き、結果8割を超すお客様にご来場頂きました。本当にありがとうございました。

そもそも今回母がプログラムに「鱒」を選んだのは、僕が以前ブログに書いた一言がきっかけだったようです。それは母の東京音楽大学退任記念演奏会を終えた後「息子でもあり、東京音大の卒業生でもあり、仮にも演奏家として活動していながら出演の声がかからなかった事が残念」と書いた文章を、たまたま母が読んだようなのです。


僕は母から「一緒に鱒でもやる?」と言われたとき、やっと少しは演奏家として認めてもらったかと喜んでいたのですが、どうも裏にはこのブログの言葉があったらしいと知り、まだまだ本当に認めてもらうには道は遠いのだろうなと感じたのでした。
とはいえ、きっかけがどうあれ母とこうして公式の演奏会で共演出来るのは光栄な事ですし、ピアノとコントラバスという組み合わせではチャンスもなかなか無いですから、二つ返事で引き受けたのでした。

共演者についても母から相談を受け、「母と何か関係がある人、または僕と何かしらの繋がりがある人でなければただの『仕事』になってしまう」と考え、まずヴァイオリンには、これまで意外にも共演した事のない親戚の鷲見恵理子ちゃんを、そしてヴィオラは僕の大学の同級生でもあり現在読売日本交響楽団奏者でもある榎戸君、チェロは僕の仕事・遊び仲間でもある金子鈴太郎君を推薦したのでした。

メンバーが決まったまでは良かったのですが、とにかく超多忙なメンバーなので合わせの日程がなかなか決まらず、結局本番の前の週に2日間、計6時間だけ集まる事になりましたが、優秀なメンバーなのでリハーサルはあっという間に楽しく進みました。
日付とメンバーが決まり、僕自身は鱒の演奏が4度目とあって多少気持ちに余裕があった事もあって、チラシ・ポスター・チケット・プログラムのデザインを全て請け負いました。

そしていざ本番、鱒の当日ゲネプロは15時から。
一通り全曲通し、最終チェックをして本番が始まりました。

前半は母のソロでシューベルトのソナタを2曲。

チェロの鈴太郎君は楽器の調子が悪いからと楽器屋さんに行ってしまったので、僕はヴィオラの榎戸君と楽屋で談笑していたのですが、楽屋のモニターを点けていたのが失敗でした。

そもそも僕はこれまでの母のリサイタルでも一番後ろの席で毎回心臓が痛くなるくらい緊張してきたのですが、楽屋で前半の母の演奏を聴いていたら、その感覚が再び襲ってきたのです。それまで何の緊張感も無かっただけに、一度緊張を感じたらその度合いは増すばかり。「ヤバい、緊張してきた」と話すと榎戸君に「本当に緊張してるヤツは言葉にしない」と言われましたが、いやいやかなりの緊張感でしたよ。

本番が終わった今だからこそ書けますが、母は以前から頸椎のヘルニアを抱えており、今回もずっと包帯をしたまま練習に臨んでおり、右手の指が3本痺れたままだと聞いていたので、余計に心配だったんです。

そんな状態で後半、鱒の演奏に入りました。ステージに出ていって最初に目に入ったのが上手の2階席に座る家族の姿でした。

こっそり手を振ったら、子供たちが凄い笑顔で手を振ってくれて、かなりリラックスするきっかけとなりました。


序盤は本当に緊張していて、第1楽章の前半はかなり頭が真っ白な状態でした。

これまでに鱒を3回経験していなかったら何をしたか分かりません。

それでも、1楽章後半からはただ仲間たちとのコンタクトを楽しむようになっていました。

やはり彼らにお願いして良かった!

アンコールの愛の挨拶を終え、最後に母が出演者一人ひとりと握手をしてきたのですが、最後に僕と握手をした瞬間客席からの拍手の音量が数段大きくなりました。「ちょっと止めてよ!」という気恥ずかしさもありましたが、危なく泣くところでしたよ。耐えられるようになった自分を褒めてやりたいと思います。
 
終演後は短い時間ながらホワイエでご来場頂いたお客様とご挨拶をし、同じ建物内のレストランで打ち上げ。

 

毎度の事ですが打ち上げでは挨拶の連続でほとんど何も食べられず 笑 これも本番の一つと言えるのかもしれません。

打ち上げが終わってからは手配しておいたワゴンタクシーにコントラバスと大量の花束、プレゼントを積み込んで母と共に実家へ向かいました。毎回母のリサイタル後は物凄いプレゼントの量になるので、一人暮らしの母では捌ききれないだろうと一緒に帰ったのですが、それでも布団に入れたのは午前3時でした。

翌日僕はサントリーホールで日本フィルの演奏会本番があったので、母が眠っている間に家を出ましたが、母にはまずしばらく休んで治療に専念して貰いたいと思います。
 
今回出演の機会を与えてくれた母、ご来場頂いた皆さま、演奏会に携わって下さったスタッフの皆さま、そして出演を快諾してくれた仲間たちに深く感謝したいと思います。
 
本当にありがとうございました。